2012年2月12日日曜日

無敵の素ありマス。



集団の中での人間関係において要になるものは、おそらく”配慮”になるだろう。
他者をどれだけ思いやれるか、どれだけ他者の立場に立てるか。
それは豊かな感性・想像力が必要とされる、人格的な行為だ。
だがここで注意が必要なことがある。
自分は配慮に長けている、気が利いてる、と認識・公言している者の存在である。
彼等はまず間違いなく、配慮というものを自分に都合良く解釈しており、
他者の立場になど立ってはいない。
また、そんな感性も想像力も持ち合わせてはいない。
本当に配慮ができるヒトというものは、他者に何かをしてあげているという意識が皆無であるか、
不足な点や余地に意識を向けることができるので、自身が十分であるなどとは思わないのだ。
この誤った認識を持っている者は、非常に厄介な存在である。
彼等は自分の言動が良識あふれるものだと考えており、正しいことをしていると信じている。
そう、彼等は自分への評価において完璧なのだ。
彼等への対処というものは、距離を置くというネガティブな手法以外には想像ができない。