2012年7月23日月曜日

新・中古車流通の今後を考えてみる①
















photo credit: Stéfan via photo pin cc


当ブログへの検索ワードに「中古車販売」「将来」といったものが結構あるようなので、

数回にわけてまとめてみたいと思います。

中古車流通の将来については以前に考察したことがあるのですが(中古車流通の今後を考えてみる)このエントリー自体の骨子は3年以上前に作ったものなので、ちょっと古いということと、


苦痛を伴うぐらい「長い」…


書いたの誰だよ

ということがあるので、あらためてまとめてみたいと思います。

(なので数回にわけます…)


まぁ、こういう先の見えないご時勢なので、やっぱり「将来はどうなっているのか!?」に

どうしても関心が向かいますよね。

確実にわかる未来なんて保証されていませんし。


しかし、確実にわかる、必ず起こる未来を示すものがひとつあります。



それは人口動態です。


日本は少子高齢化が進むという例のアレです。


国立社会保障・人口問題研究所によると、


”今後わが国の人口は減少する見通しであり、平成 22(2010)年国勢調査による 1 億 2,806

万人から、平成 42(2030)年に 1 億 1,662 万人となり、平成 60(2048)年には 1 億人を割っ
て 9,913 万人となり、平成 72(2060)年には 8,674 万人になるものと推計される(ただし、
出生中位(死亡中位)推計による。以下同様)。したがって、平成 72(2060)年までの 50 年
間で、人口は 4,132 万人(当初人口の 32.3%)の減少が見込まれる。”


”同推計期間に、年少人口(0-14 歳人口)は当初の1,684 万人から 791 万人へと 893 万人(当

初人口の 53.0%)の減少、生産年齢人口(15-64 歳人口)は 8,173 万人から 4,418 万人へ
と 3,755 万人(同 45.9%)の減少が見込まれる。これに対し老年人口(65 歳以上人口)は
2,948 万人から 3,464 万人へと 516 万人(同 17.5%)増加する。”

だそうです。


まぁ、簡単にまとめてしまうと、



若者は減ってお年寄りが増えるよ&人口減るよ

っということです。

これはどの業界でも産業でも重要な問題です。
しかもわかりきっていることなのに、

意外と真剣に問題視されていません。


だって直近では影響ないでしょ?今年度予算の達成のほうが重要だし。
(東京都 中古車販売店営業職 27歳)※ 

そんな先のことより今日明日のことで大変です。
(愛知県 某ディーラー管理職 32歳)※

少子高齢化は政府の問題でオレの問題じゃない。
(神奈川県 オークション代行代表 40歳)※

あ"~刹那的にビジネスしてるとマジで滅びますよ?

※フィクションですよー

いや、短期的な利益にこだわっていて、それで良いのだ!っという場合はOKです。
将来!?知らねぇよっ!!って場合もノープロブレムです。

そうじゃない場合、これって今から手を打っておかなければならない問題です。

今現在の市場規模を支える体力は、未来の市場にはありません。
規模は縮小していくことが保証されているからです。

どういうことかと言うと、

多くの自動車関連事業者は淘汰されます。必ず。

※正確には自動車関連事業者だけではなく、すべての業種においてなのですが。

中長期的な視点に立ったモノの見方が必要です。
しかし、変化が激しく先を読めない時代です。

思い込みや決め付けは、動きに制約を設けてしまうかもしれません。

少子高齢化の社会を想像してみましょう。
そこではどんな問題が発生していますか?どんな課題があるでしょうか?

縮小する市場を想像してみましょう。
そこで無くならないモノはなんでしょうか?そこで新たに生まれるモノはなんでしょうか?

思考は制約しないけれども、確実に起こる未来への対処は考えて手を打っておく。
それと同時に今日明日のことも考える。

今は、とても難しい舵取りを行わなくてはならない状況にあるのだと思います。



クルマを利用する≒クルマを購入する層は減ります。

人口のボリュームゾーンは高齢者です。
クルマに乗れなくなります。

乗る人が減るので台数も減ります。

いろんな母数が減ります。


確実に起こる人口動態が切り口だと
ネガティブな要素しか見出せない気がしてきますね…。


ん~明るい要素も今後は考えていきたいと思います。

ではでは。

いいタマは市場から減っているという現実(新・中古車流通の今後を考えてみる②)







2012年7月15日日曜日

デジタルデータやコンテンツはフリーになるべきなのではないかと思ってみたりしちゃってみたりして
















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最近の著作権法改正もあってインターネット上のデジタルデータについて考えてみたいと思います。
最初にお断りをしておくと、ワタシはデジタルデータやコンテンツの配布を行う側でコソコソお仕事をしています。なので、コンテンツホルダーの中のヒト(いち構成員ですが)とでも言えるかと思います(エンターテイメントやアートではなく、無味乾燥なビジネス向けのモノではありますがね…)

ご他聞に漏れずワタシの所属する組織でも、データの権利の帰属先は自分たちであると高らかに謳い、二次利用を許さない強硬なスタンスをハッキリクッキリ表明しています。実際、腕力に訴えてみたりもしちゃっています。

しかし、ワタシはデジタルデータの複製をコントロールしたり、禁止したりすることは不可能だと思っています。また、抑制・抑圧に貴重なリソースを注ぎ込むなんてナンセンス以外のなにものでもないと思っています。

押さえ込むことには進歩や進化はありません。何も生み出さない非生産的行為です。押さえ込むことに従事する人は己の仕事に誇りを持てるんでしょうか?世界に何の好影響も与えない業務を遂行することに。

デジタルデータに「モノ」と同じような「個々の値段」を付けようという発想自体が誤っています。
データと「モノ」はまったく違う概念に基づいていることを理解すべきです。

重要なことは「データ」自体に値段を付けることではありません。「データ」自体は「フリー」になるべきです。ここでいう「フリー」は「タダ」という意味ではありません※(フリーカルチャーという思想をめぐって)提供すること、利用することの自由です。

提供側も利用側も自由に「データ」を利用して新たな価値を生み出す。それでいて提供側にキチンと利益をもたらす仕組みの構築。そういったことを志向するべきです。

自由にオフィシャルに使えて、きちんと利益を生み出す仕組み。そこに注力するべきです。押さえ込む方法に知恵を絞ることは努力するベクトルが違います。

脱線気味ですが、そうしたことを考えるとニコニコ動画ってすごいトコロに鋭角に刺さっているように思います。
あそこで起こっていることって、まさにイノベーションなのではないでしょうか。二次制作をドライブさせると、いかにクリエイティビティが発動されるかを如実に示しているように思えてなりません。

アプローチのアティチュードとして見習うべき点がありすぎる気がする今日この頃です。

不毛な後ろ向きの押さえ込み活動は到底歓迎できるものではありません。
押さえ込んで抑制して規制して…うまく好ましく動いているものってありますかね?

多くのヒトがすごいもん創ってくれちゃうんであれば、そっちのほうがよくないですかね?
限られた組織のリソースで実現できるクリエイティブなんて、たかが知れています。

まぁ、利益を循環させるエコシステムのデザインが同時に必要なんですけどね…。

でも取り組まないことには実現しないので。
今現在イメージできないからって即却下は大損こきますよ。










2012年7月7日土曜日

小さな未成熟な組織はオレ様が肥大しやすいので要注意ですよというお話し






















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未成熟な組織やコミュニティが内部に対して発信するメッセージには注意が必要な時があります。

一部のエライヒトの恣意的な理屈が、見栄えの良い正論に置き換えられて組織を束縛している、といったことが往々にしてあるからです。

組織の根本を確認する問いを立てる人間を「反抗的」「前向きではない」として口を塞いだり、自説や持論を唱える人間を「批判をしている」「文句を言っている」と罪人に仕立て上げる。

こうしたことが日常的に発生する組織は、組織全体の精神が徐々に腐っていきます。
言論を許さない全体主義的な組織はクリエイティビティを殺し、同時に自身を殺していきます。
これは組織の自傷・自殺行為とも言える愚行です。

なぜそうしたことがおこるのか?
それは、小さいな未熟な組織でエラくなってしまったヒトにありがちなポピュラーな間違いに原因があります。

小さな未熟な組織であればあるほど、自分でコントロールできる範囲が広いため、
ある種の「万能感」を持ってしまう傾向があります。

端的に言うと、「オレが一番正しい」という思考に簡単に陥ってしまうということです。

これは、よほど人間として鍛錬がなされたヒトでもない限りは、程度の差はあれどみんな勘違いしてしまうポイントです。

「正しいオレとは異なる意見」⇒「世界の真理に逆らう意見」⇒「言ってるヤツは間違っている、いやむしろバカ」⇒「こんなバカを放置していては他の人間に示しがつかない」⇒「要おしおき♪」⇒「要おしおきのヤツは人間として下等」⇒「人間として上等なオレの手を二度と煩わせないようにする必要がある」⇒「見せしめとして薄皮剥いでいくか、辞めさせる」⇒「こんなことができるオレ最高」

といったロジックが展開されるのかは知りませんが(おいっ!)、オレ様以外を下等と位置づけるのは間違いないでしょう。また、考え方ではなく、人間性への攻撃にすり替わってしまうことも特徴です。

こういうオレ様は、自分がいかに正しいかをアピールすることに長けています。自分で公演する舞台を用意し、脚本・監督・主演、集客もできちゃいます。

そこでタイトルの一文に戻ってきます。
もしもこんなことになっていたら注意が必要ですよね?

では、こうした事態を避けるためにはどうしたらいいのか?

それは、トップ自らがが細部に注意を払い、自らが動く以外には予防・是正することはできません。

他人任せにしてはいけません。

オレ様を放置してはいけません。

当然、トップ自身がオレ様になってもいけません。

また、組織の精神が腐らぬようにメンテナンスを常にしていかなくてはいけません。

ヒトを集め、組織し、事業を遂行していくということは、そういうことだと思います。

結果の出ない組織は、組織として機能していないことがほとんどです。
マネジメントが不在です。または、マネジメントが貧弱で未熟です。

トップの責任は本当に重いのです。






2012年7月1日日曜日

軽自動車時代を考える
















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補助金の終了が8月に見えてきました。
中間流通市場では出品増も一服感があり、成約率と成約単価が徐々に上がりつつあります。
補助金終了後を見据えての動きが出始めているのでしょう。

補助金が終われば中古のメリットが再注目されるはず、との話しをよく聞きます。
なので、良質車の在庫確保に今のうちに動いておこうと…。

ん~果たしてそうなんでしょうか?(すみませんネガで…)

ワタシは今後も動きがあるのは軽自動車ぐらいで、
新車も中古も軽しか売れないという状況が続いていくと思っています。

この傾向は、もし景気などの経済環境が改善されたとしても、
劇的には変わらないのではないかと思います。

なぜなら、今や軽自動車は様々な面で最も合理的な自動車だからです。
コストと価値のバランス、経済性、使い勝手…へたなコンパクトより魅力的です。

一昔前のプアマンズカー・セカンドカー的なイメージは今の軽自動車にはありません。
ファーストカーとしてなんら問題がありません。いろんな意味で。
むしろ、合理的でクールな選択のようですらあります。

ミニバンの多くは常に座席を空けた状態で日々走っています。
モノを載せることができる、ヒトを乗せることができる、という可能性だけが存在意義です。

この状況は多くの人には無駄に映るようです。
可能性のためだけにそこまでの負担はできない。無駄でしかない。合理的じゃない。

そして、とっくにクルマはステータスシンボルでもなくなっています(一部例外あり)。
高いでかいクルマがエライなんてことは、もう過去の価値観です(一部例外あり)。

利益の薄い軽自動車しか売れなくなる。

いまやるべきことは、目先の売れるかもしれないクルマをかき集めることではなく、
販売利益に頼らない収益構造への体質変換です。

収益源の多様化(あたり前ですが)、コストの見直し、既存顧客とのリレーションシップ強化…etc.
そうしたことに注力をしていかなくては今後の「軽自動車時代」に対応していくことができません。

博打のような売買差益が儲けの時代は終わりました。