2012年3月4日日曜日

正義について考える
















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正義や正論を振りかざすことは、ある種の暴力です。世の中、正しい方がいいに決まっています。正義が尊重され、喜ばれる方がいいに決まっています。でも、正義や正論を振りかざすことは暴力です。

なぜなら、世の中は正義や正しいコトだけで構成されているわけではないからです。当たり前ですよね?

そもそも、正義も正しいことも、様々な条件や時代によって変わってきます。何が正しいかなんてモノは、結構曖昧だったりします。

といいながらも、やっぱりその時代や環境における正しいコトというのは、なんとなく共有されていたりもします。ここがポイント。

何がいいか悪いかは何となく分かっているけど、それだけで世の中は構成されていない。なので、疑問や矛盾を抱えながらも、正しいとはいえないことをしながら、日常を回していかなければならないヒトが沢山います。彼らを「あなた方は間違っている」と糾弾するとどうなるでしょう?自己防衛のために反発するだけです。「自分は間違っていました」なんてヒトはいません。むしろ、自分の正統性を証明しようとするでしょう。しかも全力で。ともすると、後ろめたさから逃れるために、自分こそが正しく正義であると信じ込んでしまうようになる。互いに正義を名乗り、罵り合うようになる。これが誰のためになるのか?誰のためにもなりません。

正論を唱えるという行為は、悪役を造る行為です。誰も悪役には認定されたくないものです。反発を生むだけです。

正論を唱える行為はなにも解決しません。解決をする、改善をすることが望みであるならば、行動することです。必要なことは、声高に正義や正論を唱えることではありません。それは悪役を造るだけの暴力です。