2012年7月15日日曜日
デジタルデータやコンテンツはフリーになるべきなのではないかと思ってみたりしちゃってみたりして
photo credit: MikeBlogs via photo pin cc
最近の著作権法改正もあってインターネット上のデジタルデータについて考えてみたいと思います。
最初にお断りをしておくと、ワタシはデジタルデータやコンテンツの配布を行う側でコソコソお仕事をしています。なので、コンテンツホルダーの中のヒト(いち構成員ですが)とでも言えるかと思います(エンターテイメントやアートではなく、無味乾燥なビジネス向けのモノではありますがね…)
ご他聞に漏れずワタシの所属する組織でも、データの権利の帰属先は自分たちであると高らかに謳い、二次利用を許さない強硬なスタンスをハッキリクッキリ表明しています。実際、腕力に訴えてみたりもしちゃっています。
しかし、ワタシはデジタルデータの複製をコントロールしたり、禁止したりすることは不可能だと思っています。また、抑制・抑圧に貴重なリソースを注ぎ込むなんてナンセンス以外のなにものでもないと思っています。
押さえ込むことには進歩や進化はありません。何も生み出さない非生産的行為です。押さえ込むことに従事する人は己の仕事に誇りを持てるんでしょうか?世界に何の好影響も与えない業務を遂行することに。
デジタルデータに「モノ」と同じような「個々の値段」を付けようという発想自体が誤っています。
データと「モノ」はまったく違う概念に基づいていることを理解すべきです。
重要なことは「データ」自体に値段を付けることではありません。「データ」自体は「フリー」になるべきです。ここでいう「フリー」は「タダ」という意味ではありません※(フリーカルチャーという思想をめぐって)提供すること、利用することの自由です。
提供側も利用側も自由に「データ」を利用して新たな価値を生み出す。それでいて提供側にキチンと利益をもたらす仕組みの構築。そういったことを志向するべきです。
自由にオフィシャルに使えて、きちんと利益を生み出す仕組み。そこに注力するべきです。押さえ込む方法に知恵を絞ることは努力するベクトルが違います。
脱線気味ですが、そうしたことを考えるとニコニコ動画ってすごいトコロに鋭角に刺さっているように思います。
あそこで起こっていることって、まさにイノベーションなのではないでしょうか。二次制作をドライブさせると、いかにクリエイティビティが発動されるかを如実に示しているように思えてなりません。
アプローチのアティチュードとして見習うべき点がありすぎる気がする今日この頃です。
不毛な後ろ向きの押さえ込み活動は到底歓迎できるものではありません。
押さえ込んで抑制して規制して…うまく好ましく動いているものってありますかね?
多くのヒトがすごいもん創ってくれちゃうんであれば、そっちのほうがよくないですかね?
限られた組織のリソースで実現できるクリエイティブなんて、たかが知れています。
まぁ、利益を循環させるエコシステムのデザインが同時に必要なんですけどね…。
でも取り組まないことには実現しないので。
今現在イメージできないからって即却下は大損こきますよ。
ラベル:
雑考