2012年5月27日日曜日
自動車カルチャーから考える
photo credit: Fadzly @ Shutterhack via photo pin cc
少し前ですが日経新聞にドイツのオールドタイマーに関する記事が出ていました。
― 以下抜粋 ―
最新の燃費技術や洗練されたデザインを併せ持ち世界規模で販売を伸ばすドイツ車。その本国で今「1番格好いい」と注目を集めるのが、生産して30年以上たつレトロ車だ。自動車ファンはあこがれの思いを込め「オールドタイマー」と呼ぶ。独政府が減税などの優遇制度を導入したことで人気は高まる一方。若葉が芽吹き欧州が最も美しいこの時期、オールドタイマーの出番だ。
人気のきっかけの1つが、独政府が97年に導入した優遇制度だ。自動車発祥の地であるドイツは「主力産業の伝統と価値を次世代に受け継ぐ」(独政府)狙いから、最初の登録から30年以上経過した車向けにその“歴史的価値”を表す「H」ナンバーを導入。これが当たった。
Hナンバー車は大きな改造が加えられていないことなどを条件に発行。ユーザーは自動車税減税や保険料の減免などが受けられる。ドイツの多くの都市で義務づけられている排ガス浄化装置の装着もHナンバー車は特別に免除される。初年度は1万3500台がHナンバーを取得。毎年ほぼ右肩上がりで登録は増え、2011年末までに累計20万8千台に達した。
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これは自動車が産業というだけでなく、カルチャーとして深く浸透しているからこその話しなのでしょう。
「環境にやさしい新型車を買いましょう」「古い自動車=害悪です」というプロパガンダに基づき、税制で古い自動車を迫害しているような日本では、自動車が本当のカルチャーとして根付くことは難しそうです。
しかし、カルチャーとして社会や生活に浸透していないと、自動車はただの道具になってしまいます。
効率が良く合理的である。
それだけが自動車に求められることになってしまいます。
情緒的な魅力で感性に訴えかける。
そうした部分がもっと必要になってくるのではないでしょうか。
とはいえ、欧州のような自動車カルチャーを日本で志向することはやっぱり難しいと思います。
おそらく、日本で醸成された(される)自動車カルチャーをもっと育てていくことが肝要なのでしょう。
世間一般からみればマイナーですが、日本のチューニングやカスタムはアジアでは人気があります。近年では痛車なんかもおもしろい新興カルチャーです。
新しいカルチャーが出現すると、それまでとは異なる層が支持者として流入をしてきたり、関連事業が派生したりと、好循環のキックとなります。
新しいカルチャーを生み出すためには、異質なモノとの出会いや組み合わせが必要なのだと思います。
そういう観点でみてみると、メルセデスが六本木でやっているカフェレストランや、フィアットが青山でやっているフィアットカフェは示唆に富んでいる取り組みだと思います。
おそらく、この2店の目的は新しいカルチャーの苗床・依り代的なモノとは違うと思います。
欧州メーカーなので自動車カルチャーの国です。
すでに確立されているカルチャーや世界観を、具現化させる場のひとつといった性格がメインなのではないでしょうか。
ではどこに示唆があるのでしょうか?
ワタシは自動車とカフェの組み合わせだと思います。
カフェという存在は非常に懐が深いカルチャーです。
音楽やアート、文学、アパレル、書籍、IT、ネコカフェやメイド(?)なんてのもありますね。
異なるカルチャー同士が交錯する接点。
新しいカルチャーの発信地。
カフェにはジェネレーターのような性質があるように思います。
また、カフェは地域コミュニティの開かれたスペースであったりもします。
地域の様々な特性をもった人達が集まる場所。
様々な会話や情報がやり取りされる場所。
様々な時間が交錯する場所。
多くの自動車関連の施設や店舗は、地域コミュニティの中にあって異質であることが多いです。
用事のある時以外は足を運ばない所。普段は自分には関係のない所。視界に入らない所。
自動車関連の施設や店舗はカフェのように、地域コミュニティに対して開かれたスペースになる必要があるのではないでしょうか。
そうした点でいうと、ダイハツディーラーのカフェプロジェクトは先進的な取り組みだと思います。地域コミュニティの一員になることの利点と重要性を認識しているのではないでしょうか。
地域コミュニティに対して開かれたスペース。
新しいカルチャーの発信地。
自動車関連の施設や店舗が、そんな場所になると魅力的なのではないかと思います。
ちらっと妄想してみただけなのですが…
個人的にはユーズドであれば、カフェ、古着、古書(洋書・絵本)あたりが親和性の高い組み合わせなのではないかと思っています。お店の価値観を打ち出すセレクトショップといったところでしょうか。
そこからどんな自動車カルチャーが生まれるかは…今はわかりません!!
2012年5月19日土曜日
今後の中古車販売に必要な3つのポイント
photo credit: Abdulrahman BinSlmah via photo pin cc
最近の観察活動で得られたことの中に、仕入れをAAに頼らない店舗が増えているということがあります。
いいタマはAAでは高すぎて、在庫として店頭に置くのは厳しいといったことが理由として共通しています。
ここ最近は補助金・減税効果で市場にタマが増えてはいますが、中長期的には「いいタマ」の枯渇は深刻な問題だと考えられます。
マクロ的には人口は減少をしていき、高齢化が進むことでクルマに関する市場は縮小していくことが予測されています。また、クルマの性能の向上や経済状況に起因して、自動車の使用年月・車齢も年々上昇しています。
また、ディーラーや買取店は自社や系列による直販体制を強化しています。
小売向きのタマは自社から出さずに、自分で販売をしていく傾向にあります。
海外市場も、新興国の経済が成長していくにつれ、日本の中古車に求めるレベルが変わっていくことが予想されます。「いいタマ」は海外へも流出していきます。
今後は小売に向いた「いいタマ」の絶対数が非常に少なくなっていきます。
そして、「いいタマ」をAA市場で仕入れることは、どんどん困難になっていきます。
AAがなくなることはないでしょう。換金の即時性や保管などの問題に対する解決力は優れていますし、今後も必要な機能です。
しかし、AAは将来的には、どうにもならなくなったクルマの最終的な処分場になっていきます。
現在は、仕入れ・換金の場として機能していますが、「仕入れの場」としての機能は弱くなっていくでしょう(こちらのエントリーでも言及しています【中古車流通の今後を考えてみる】)
AA以外の仕入れルートの確立は、今後をサバイバルしていくためには重要なポイントになると思われます。
冒頭に述べた「仕入れをAAに頼らない店舗」はどこも商売は順調です。
独自の仕入れルートを確立しているため、AA相場の影響を受けずに、
小売価格を他店より有利に設定することができるからです。
もちろん価格だけの勝負をしている訳ではなく、市場のニーズを的確に捉え、
自店のこだわりやポリシーを打ち出し、それでいて独りよがりにならないライン、
というものを正確に見極めて商売をしています。
その他に共通している部分としては、リーチしていきたい顧客像をしっかり持っているということがあります。
車両ごとであったり、店舗ごとであったりといった違いはあるものの、どんな顧客に乗ってもらいたいか、買ってもらいたいか、付き合っていきたいか、といったイメージがはっきりしています。
これらのことから得られる今後の中古車販売における示唆は、以下の3点かと思います。
①AAではない独自の仕入れルートを持つ
②自店ならではの特色を持つ
③顧客のイメージを明確にする
この3点は、クルマに限らずあらゆるビジネスにおいていえることではありますが、
そうした基本的な部分に対する取り組みの違いが、結果として大きな違いを生み出していくのだと思います。
ラベル:
中古車流通将来
2012年5月12日土曜日
自動車販売はアートになる!
photo credit: BURИBLUE via photo pin cc
今回は若干いっちゃってるアレでナニな話しなので、なまあたたかく見守ってやってください。
えー、ではいきます。
これからの自動車販売(すべての小売業も)はアートになるべきです(そらきたっ!)
成熟した社会や経済の中では、品質・価格・サービスは優れていて当たり前。
もうここで勝負はできなくなっていきます。
ではどうしたら良いのか?
それは商品に物語を付加して、
新たな商品を創ることです(第二波きたよっ!)
カタログ的な情報ではなく、その商品が生まれた背景、社会の出来事との関連性、
売り手との関わり、出会い、店頭に並ぶまでのエピソード、売り手の主観・感想、
ユーズドなら経歴…
ただ店頭に並んでいるだけの商品には決して付いてこない物語。
それを売り手が見つけて商品の一部に仕上げるのです。
これは個々人の感性の発露です。マニュアル化なんてできません。
これは極めて創造的な芸術的行為なのです。
そう、アートです!
やっと最初に戻って参りました。
あっ!
さては、あいたたた…っと鈍痛を感じはじめていますね!?
いや、いいんです。わかってますから。
戯言はスルーしちゃってください。
真言と妄言は紙一重です。一笑に付すのは簡単です。
でも、少しだけイメージしてみてください。
売り手が物語を表現するアーティストだと。
万が一、ニヤっとしてしまったヒト。
ようこそコチラ側へ。
ラベル:
中古車流通将来
2012年5月2日水曜日
クルマによって生じる「歪み」は現実として存在する
photo credit: Thomas Hawk via photo pin cc
最近、クルマが関係する痛ましい事故のニュースが続いています。
クルマの存在に関わることを仕事にしている身として、いろいろと考えさせられました。
クルマの利便性や価値を安全に享受するということは、あたり前のことでも当然のことでもない。
利用者自身や歩行者を含む交通社会に参加する人々を危険にさらし、化石燃料をガブガブ消費し、CO2等の環境汚染物質を空気中に排出し、製造・輸送・廃棄にも膨大なエネルギーを使う。
お金を生み出し回していく産業や経済としての価値、移動や輸送といった社会活動の効率化、時間の圧縮や人力の増幅といった不可能の実現、研究開発による科学技術の向上、感性や欲求に答える情緒性。
クルマは、善悪では判断できない、定義できない、様々な要素で構成されています。
ただ、ひとつだけハッキリしているいるのは、クルマによって生じる「歪み」は現実として存在するということです。
クルマの価値を享受するヒトは「歪み」に対して、もっと働きかける必要があるのではないでしょうか。
クルマで失われる自然環境に対して
クルマで失われるエネルギーに対して
クルマで失われる人命や繋がりに対して
もっとたくさんの物事があると思います。
そしてこれは強制される義務ではなくて、責任ともちょっと違っているように思います。
もっと内発的な、自発的な心の動きとでもいいましょうか。
曖昧で具体性を欠く、適切に明文化できない漠然とした感情の一部です。
クルマを無くすことはできません。
また、そうすることが良いことではありません。
具体的にどのようにアクションをすればいいのか、何をすることが正解なのか、能書きたれているワタシにも明示することができません。
まずは、気づいたことから始めてみる、実際に行動に移してみる、ということからしか見えてこないように思います。
クルマで出かけて帰ってきたら、まずは無事に帰ってこれたことに感謝してみましょう。
それは、あたり前のことでも当然のことでもないのですから。
そこから見えてくることがあると思います。
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中古車流通将来
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