2012年2月12日日曜日

不文律の先に納得はなかった!?



“臭いモノには蓋をしろ”的な教育に常々疑問を感じている。
世界は善意に満ちており、平等・公正で、自分という存在は万人に肯定されている、
というひとつの錯覚が存在する。
特に学校など、そういう思想が根底に定義されている教育はとても危険だと思う。
何故なら、そんな世界は存在しないからだ。
そういう錯覚を認識として持たされた子供は、日々の生活の中で矛盾に遭遇する。
存在しない世界を教えられてきたのだから当然のことだ。
そこで子供は戸惑い、悩み、傷付くことになる。
時にそれは致命的なインパクトを持つこともある。
そうならないように、現実を正確に認識させて、それらとの付き合い方を教えてあげることこそが、
本当に教育に求められることなのではないかと思う。
特に平等という思想・概念は本当に危険だと思う。
これこそまったく存在しない、人間が作り出したフィクションに他ならない。
あらゆる生物の原理・原則は”強者が生き残る”というものだ。
そこに平等などあり得ない。
しかし、人間は社会的な生物であるが故に平等を信じたかった。
そこで、自らのパワーである宗教・哲学・モラル・法などの道具を駆使して、
生物の原理・原則の呪縛から逃れようとした。
だが、生物の一個体でしかない人間が、あらゆる生物の真理から除外されるはずもなかった。
当然、平等には矛盾が生じた。
それが今、存在している世界。
そういう世界に生を受けた事実を、きちんと伝えることが、全ての始まりになり得るのだと思う。