2012年2月12日日曜日

カチカチやまのぉ~たぬきサンっ♪



“価値の無いヒトなどいない”
ヒューマニズム的見地からのよく聞く言葉だが、ワタシはコレは正解であり、不正解だと思う。

ヒトの価値はそれが価値だと認識されて初めて存在し得るのだと思う。なんだかレトリックのようだが、
個人的な見解としては、価値だと認識し得る可能性のある何かは全てのヒトに備わっているが、
それが価値だと認識されないまま終わってしまうケースが大半なのではないかと推察している。

では、その価値の存在を誰が認識すれば解決するのか?

それは他でもない、自分が価値だと認識することだと思う。
価値の認識を他人に委ねるから苦しむ。他人の認識の中に見る自分という存在は、
鏡に写る自分を眺めることでしかない。
だから、他人の中に自分の価値を見出だそうとするのは間違いでありナンセンスだ。
自分の価値は自分が決める。
本当の意味で、自分を知り、信じられるのは、自分以外には存在し得ないのが真理だから。

しかし、人間は他人はおろか、自分のことすら完全に理解することは難しい。
そんな人間が普段ボンヤリ過ごしているなかで、自身の価値を正確に認識し得るのだろうか?
答えは否。わかるはずもない。
わかる努力もしないで、自分を平凡だと卑下して完結してしまっている。そんなヒトのなんと多いことか。

まぁ、そんなマジョリティーのひとりですがね…。