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『人はパンのみにて生きるにあらず』
ヒトは必ずしも合理性や経済性だけで物事を判断する訳ではない。
ひとつのサンプル。
音楽の流通形態が大きく変わりつつある。
CD等のパケージは過去のモノへと急速に追いやられている。
これからはデジタルデータでの流通がスタンダードになるのであろう。
流通コストは限りなくゼロに近く、複製するコストもほぼゼロ。
フィジカルな店舗へ購入しに行かなくてもよく、物体の受け渡しコストもゼロ。
非常に合理的でスマート。
コストの圧縮も大きい。
しかし、私は本当に気に入っているアーティストならば、
「作品」はモノで欲しいと思うタイプだ。
アートワークや質感。
物質として所有している実感。
体現されている世界に触れている感覚。
そうしたアナログ的な部分が重要だったりする。
そう。
これは全然合理的ではない。
無駄なコストも発生している。
加えて言うならば、有限である自室のスペースを占有したりもする
それでも「モノ」で手元に置きたいと思ってしまう。
感性に関わる部分は「無駄」「非合理」が駆逐されにくい。
アナログのLPがわざわざ発売され、
そのパッケージには、デジタルデータをダウンロードできる権利が含まれていたりする。
実際に聴くのはデジタルデータの方で、
LPは部屋のインテリアになってしまったりする。
下手をすると、LPは一度も聴かない場合もあったりする。
これにどんな意味があるのか?
意味などない。
しかし、これが当人にとっては非常に重要だったりする。
この無駄が、
非合理が、
真実の一部を形成していたりする。
これは様々なモノに言えることだと思う。
そう。クルマにも言える。
無視できない重要なファクターではあるけれども、
それでは浅過ぎやしないだろうか?
クルマに楽しみは求めない?
そもそもクルマは不経済だから不要?
非合理的だからいらない?
成熟した社会であればあるほど、
「無駄」や「非合理」が重要になってくる。
「感性」が重要になってくる。
エコノミックなだけでいいのだろうか?
感性を満たそう。
満たすことに、もう少し貪欲になってもいいのではないか?
しかし、感性に訴えかけてくる何かが、
製品から失われているという側面もある。
もっと挑発的に。
感性を無遠慮に撫で回す。
そんなクルマの登場を期待している。
そういうクルマの存在が市場を活性化させるからだ。
低迷する市場を救うのは感性だ。