2012年8月25日土曜日

街中のクルマを在庫にしちゃおう!(新・中古車流通の今後を考えてみる③)













photo credit: Hugo90 via photo pin cc

新・中古車流通の今後を考えてみる①
いいタマは市場から減っているという現実(新・中古車流通の今後を考えてみる②)

今回は③です。

良質車の確保が難しくなっていくことは前回までに触れましたが、
では今後はどんなアプローチが考えられるのでしょうか。

個人的には、市場はどんどん「発生源を如何に押さえるか!」っという方向へ向かわざるを得ないと思っています。

どういうことかと言うと…

今、街中を走っているクルマの情報を押さえる

っということです。

ん?何いってんのかわからん?
そーですよね、
こんなこと真剣に言ってるとアタマがアレでナニなヤツだと認定されること請け合いですからね。

でも言っちゃいます。

中間流通市場にクルマが出てくる以前に、
クルマの情報(正確には保有者の情報も)を確保しておき、
リレーションシップを確立しながら代替えサイクルを促す施策を打ち、
手放す際はそのまま自社に入庫してもらう。

って、書くと通常のバリューチェーンの考え方と変わらないように見えますよね?

ふっ。お客さぁん、アレでナニなのはこれからですよ。

エンドユーザーが今現在乗っているクルマを共有在庫としちゃおう!

はい、きた。

あ。そこ引かないでください。

エンドユーザーが乗っているクルマの情報をデータベース化して、
業者とユーザーに公開をします。
そして、購入希望のユーザーが公開されているクルマに興味を持ったら、
現在の所有者にオファーを出します。
んで、あとは商談をして取引を成立させる。ちゃんちゃん♪

ってのが簡単な概要です。

異論認めます。
うぇるかむ。

おそらくコイツを一番実現できる可能性が高いのは、
ディーラーさんではないかと思っています。
まぁ、ディーラーさんがそこまでメリットを感じるかは別の問題ですが。

管理顧客の情報をキチンとマネジメントできていると、
けっこうできることがたくさんあります。
※個人情報の乱用・悪用っという意味ではありません。

今後、市場が形成されていくC2C(個人間取引)にどのように関与していくか?
これはしっかり考えなければいけない重要な課題のひとつだと思います。

関わり方によっては「吉」とも「凶」ともなり得ます。

次はアレでナニな妄想・妄言ではなくちがうムーブメントについて考察したいと思います。

市場におこっているムーブメントについて考える(新・中古車流通の今後を考えてみる④)











2012年8月21日火曜日

クルマと感性と合理性












photo credit: dearsomeone via photo pin cc


人はパンのみにて生きるにあらず』




ヒトは必ずしも合理性や経済性だけで物事を判断する訳ではない。

(大きく読み替え…?)


ひとつのサンプル。



音楽の流通形態が大きく変わりつつある。

CD等のパケージは過去のモノへと急速に追いやられている。
これからはデジタルデータでの流通がスタンダードになるのであろう。

流通コストは限りなくゼロに近く、複製するコストもほぼゼロ。

フィジカルな店舗へ購入しに行かなくてもよく、物体の受け渡しコストもゼロ。

非常に合理的でスマート。

コストの圧縮も大きい。

しかし、私は本当に気に入っているアーティストならば、

「作品」はモノで欲しいと思うタイプだ。

アートワークや質感。

物質として所有している実感。
体現されている世界に触れている感覚。

そうしたアナログ的な部分が重要だったりする。


そう。

これは全然合理的ではない。
無駄なコストも発生している。
加えて言うならば、有限である自室のスペースを占有したりもする(微々たるものだが)

それでも「モノ」で手元に置きたいと思ってしまう。


感性に関わる部分は「無駄」「非合理」が駆逐されにくい。


アナログのLPがわざわざ発売され、

そのパッケージには、デジタルデータをダウンロードできる権利が含まれていたりする。

実際に聴くのはデジタルデータの方で、

LPは部屋のインテリアになってしまったりする。
下手をすると、LPは一度も聴かない場合もあったりする。

これにどんな意味があるのか?


意味などない。


しかし、これが当人にとっては非常に重要だったりする。


この無駄が、

非合理が、
真実の一部を形成していたりする。


これは様々なモノに言えることだと思う。

そう。クルマにも言える。(スゴいところから変化球投げてみた)


合理性や経済性だけがクルマの価値なのだろうか?


無視できない重要なファクターではあるけれども、

それでは浅過ぎやしないだろうか?

クルマに楽しみは求めない?

そもそもクルマは不経済だから不要?
非合理的だからいらない?

成熟した社会であればあるほど、

「無駄」や「非合理」が重要になってくる。
「感性」が重要になってくる。
エコノミックなだけでいいのだろうか?

感性を満たそう。

満たすことに、もう少し貪欲になってもいいのではないか?

しかし、感性に訴えかけてくる何かが、

製品から失われているという側面もある。

もっと挑発的に。

感性を無遠慮に撫で回す。
そんなクルマの登場を期待している。

そういうクルマの存在が市場を活性化させるからだ。

低迷する市場を救うのは感性だ。







2012年8月3日金曜日

いいタマは市場から減っているという現実(新・中古車流通の今後を考えてみる②)















photo credit: x-ray delta one via photo pin cc

新・中古車流通の今後を考えてみる②です。

前回は人口動態からみた市場の縮小というお話しでしたが、
市場を縮小させていく要因は人口動態だけではありません。

経済状況、ユーザーマインド、クルマの性能向上などの要因により、
クルマの使用年数・保有年数が上昇していることはみなさんご承知のとおりです。

使用年数
2009年 12.76年
2010年 12.70年

っと、クルマの寿命は12年を超えています。

保有期間
2001年
新車購入者 平均6.2年
中古車購入者 平均4.2年

2009年
新車購入者 平均7.3年
中古車購入者 平均5.3年

※日本自動車工業会データ

っと、保有期間は延びる傾向にあります。

つまり、ユーザーが買い換えるサイクルは伸びており、
下取りで入庫してくるクルマは低年式になっているということです。

これが意味するところは当然ですが、

いいタマは市場から減っている


っということです。

新車として世に出たクルマが中間流通市場に出てくる頃には、


かなりの確率で

既にくたびれている


ことになります。

今後、中間流通市場でいいタマを仕入れることは
徐々に難しいことになっていくことが予測されます。

そうしたこともあり、
一部の販売店には直販体制を強化する傾向が見られます。

買取などで入庫した”いいタマ”を、
自社のネットワークから出さない戦略へシフトしつつあります。

良質車の囲い込みです。

これまでのようにオークションで換金するのではなく、
自社で直接コンシューマに販売することを優先させるようになってきています。

また、自社で直接販売した方が利益を確保できるということも、
この動きの大きな要因となっています。

いいタマがなくなる。

どうしたらよいのか?

ひとつは、低年式・過走行のクルマをいかに商品化するかということがポイントになるでしょう。

中古住宅・マンションのようにリノベーションのような解があるのかもしれません。
(そういやリニューカーがあったな…って何処へ)

もうひとつは、良質車の仕入れルートをいかに確保するかということになります。

オークションが仕入れの場として確立されて久しいこともあり、
仕入れはオークションだけという事業者さんもめずらしくなくなりました。

しかし、これからはオークションには”いいタマ”は出なくなります。
”いいタマ”は違うルートで流通するようになるでしょう。

独自の仕入れルートを持つことが重要かつ、
生き残りの条件になる時代が間近に迫ってきています。

オークションを中心としたビジネスモデルを採用している事業者さんは、
オークションへの依存度を引き下げる取り組みや実験をしてみることをおすすめします。

そこから今後のヒントが得られるのではないでしょうか。

街中のクルマを在庫にしちゃおう!(新・中古車流通の今後を考えてみる③)